誘惑
空が、裂けた。
見えない火が、
胸の奥を打った。
大曲の花火 春の章
急ぎの仕事の手が止まり、
冷えた風が頬をなでる。
しばし、
時の底に沈みながら、
遠い夜を聴いた。
「よし」と、
かすかな声で
自分を呼び戻す。
灯りの下へ、
仕事の海へ、
ふたたび沈んでいく。
それでも、
なお、
胸のどこかで、
遠い空が鳴り続けている。
#竹村天祐 #大曲高校 #大曲高校書道部 #青麻会 #大東文化大学
誘惑
空が、裂けた。
見えない火が、
胸の奥を打った。
大曲の花火 春の章
急ぎの仕事の手が止まり、
冷えた風が頬をなでる。
しばし、
時の底に沈みながら、
遠い夜を聴いた。
「よし」と、
かすかな声で
自分を呼び戻す。
灯りの下へ、
仕事の海へ、
ふたたび沈んでいく。
それでも、
なお、
胸のどこかで、
遠い空が鳴り続けている。
#竹村天祐 #大曲高校 #大曲高校書道部 #青麻会 #大東文化大学
桜が満開になった。が、天はなぜか曇天を選んでくる。せっかくの見ごろに、背景は一面のグレー。それでもめげずに撮影。…だが、やはり空が惜しい。2日後、ついに青空がやってきた。「これだ!」とカメラを手に再び校地へ。空と桜の共演――ようやく撮れた、“使える1枚”。
そして一昨日の夜、偶然の出会いが待っていた。外灯に照らされ、まるでライトアップされたような一本桜。「これはレアだ!」と3階の窓から撮影を開始。ISOを上げ、シャッタースピードをいじりながら、手持ち撮影に挑む。……と、そのとき無情にも外灯がタイマーで消灯。あえなくブレ写真の山を築く。
翌日、「二度あることは三脚ある」と意を決し三脚を導入。しかし、中古で購入のこの三脚、見た目はしっかりしているが、どこかガタつく。「手持ちよりはマシだろう」と言い聞かせつつ撮影。そしてようやく、夜桜との決着がついた。
ブレ気味の写真でございますが……そこは心眼で補正していただければ幸いです。見える人には、見えるのです。風に溶ける光と、咲き誇る春の記憶が。
#竹村天祐#大曲高校#大曲高校書道部#青麻会#大東文化大学
祖父はただ農産物を育てるだけでなく、農作物を加工し納豆の製造と販売に挑みその道を切り拓いた人だった。私も、その血を受け継いでいる。だからこそ、私のモットーは「最後まで粘ってがんばる」だ。
新校舎建設のため校地の木々はすべて伐採された。だが、たった一本あの桜だけが残された。そして今、その桜がまるで使命を果たすように満開の花を咲かせている。
一昨日も昨日も曇天に光を奪われ、写真に収めようとしてもどうしても満足のいく一枚が撮れなかった。だが今日は雲ひとつない青空が広がり、まるで「今だ」と言わんばかりの光が差し込んできた。
私は太陽の角度を読み、最高の瞬間を狙ってシャッターを切った。残
念ながら隣の教会の十字架は理想通りには光を反射光しなかったが、それでも桜は確かに力強く春を告げていた。
サクラサク
新校舎建設のため卒業記念の植樹たちも、大曲高校の歴史を見守ってきた大木たちも、すべて伐採された。たった1本残った自転車置き場の桜がひっそりと咲いた。風に枝を揺らし、花をこぼしていた。
あの木は覚えているのだろうか。
四月、真新しい制服に袖を通した新入生たちが、不安と期待を胸に門をくぐったことを。放課後、うつむきながら自転車にまたがったあの子の、涙に濡れた頬を。三年間使い込まれたサドルに最後の別れを告げて、卒業していったあの春の日を。
校庭の風景が塗り替えられていく中で、その桜だけが、旧きものたちの記憶を抱いて立っている。
まるで、誰かの帰りをずっと待っているかのように。それは、かつてこの場所に確かにあった時間の証し。そして、静かに咲くことで語りかける、最後の証人だった。
あの木は覚えているのだろうか。
それは、かつてこの場所に確かにあった時間の証し。そして、静かに咲くことで語りかける、最後の証人だった。
#竹村天祐#大曲高校#大曲高校書道部#青麻会#大東文化大学
長年愛用している印泥が、いよいよ残りわずかとなった。そこで、新たな印泥を買おうと、いつもお世話になっている書道用品店にお願いした。そこには新しい体制で作られた印泥と、ひとつだけ残っていた以前の体制だが上海製の印泥が置かれていた。「どちらにしますか」と問われた。
その印泥にはいくつかの工房・企業が製造しており、その背景には製造体制の変遷や、ブランド継承の複雑さがある。製造元によって「本物」だとか「偽物」だとか、さまざまな情報が飛び交っている印泥だ。結局新しい体制でない上海の印泥にした。
使ってみると、今までのものとは少し違うような、でもどこか似ているような……。新しいせいか、印影は明るく発色しクリアに押すことができた。最近急に温かくなったので気温のせいか、あるいは配合の違いか柔らかく感じられたのも印象的だった。
まだ手になじみきったとは言えない。けれど、この印泥ともまた、静かに時を重ねていくのだと思う。
#竹村天祐#大曲高校#大曲高校書道部#青麻会#大東文化大学
教員として初めて赴任した学校はバレーボールの強豪校だった。サーバーが「さあ、行こう」と声をかけてサーブを打つと、チームメートが「よし、行け!」と応える。その一連の掛け声がとても新鮮で、強豪である理由が垣間見えた瞬間だった。
高校で書道部へ入ったみなさん、中学生から引き続き書道に取り組むみな、みなさんがこれから取り組む「書道」は、ただ文字を書くことではありません。それは、千年を超える歴史のなかで、多くの人が心を込めて書き継いできた「文化」であり、「芸術」であり、そして「対話」です。
1 書写と書道のちがい
中学校で学んできた「書写」と、高校で学ぶ「書道」は、似ているようでまったく異なる教科です。まず、大きなちがいは教科の分類です。書写は国語科に含まれ日常生活で必要な文字を正しく、整えて、読みやすく、速く書くことを目標としています。言ってみれば、「伝わるための文字」を学ぶのが書写です。
一方、書道は芸術科に属します。筆と墨を用い、線の強弱や余白、構成にこだわりながら、文字を通して自分自身を表現することが目標です。感情、思想、美意識、それらを文字に託し自分を表現するのが書道です。どちらも同じような用具用材を使いながら「書く」ことに変わりはありませんが、たどる道とその先にある世界は大きく異なります。
2 書道における「古典」とは
「古典」と聞くと、源氏物語や枕草子などの文学作品を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、書道でいう「古典」は、少しちがいます。書道における古典とは、「古人が書いた優れた筆跡」のことをいいます。彼らの書は、何百年、千年を経てもなお色あせることなく、書の美しさ・精神・技術のすべてが詰まっています。
3 臨書とは何か
臨書(りんしょ)とは、古典を手本として学び、またはそのようにして書いた作品のことをいいます。
小学校や中学校では、主に先生が書いたお手本を見て練習することが多かったと思います。しかし、高校の書道ではそれとは違い、古典を直接手本として学ぶのが基本になります。古典の書をじっくり観察し、どこに力を入れているのかどんな筆の動きをしているのか字の大きさや配置にどんな工夫があるのかそういったことを一画一画分析しながら書きます。
臨書は、ただ真似る練習ではありません。古人の書に込められた技術・美意識・精神を読み取り、自分の筆を通して体験する深い学びです。臨書を重ねることで書の基礎が身につき、やがて創作へとつながっていきます。創作は書道の最終目標で、臨書は書道の原点にして未来への扉なのです。
私たちは、この古典と向き合い、臨書を重ねることで、書の基礎を学び、書き手の心に迫り、やがては自分自身の「書」を生み出していきます。
4 最終目標「創作」
書道における最終的な目標は「創作」です。創作とは、自らの創意工夫によって行う表現のことです。臨書によって培った技術・美意識・精神に、自分なりの工夫や発想を加え、独自の作品をつくり上げる――それが創作です。
5 落款
書道作品は、「本文」と「落款(らっかん)」という二つの要素で構成されます。落款とは、「署名」と「印」のことを指します。これは単なる付け足しではなく、本文と並ぶ重要な構成要素であり、決して軽視してはなりません。
署名については、臨書の場合は名前や雅号の後に「臨」と記すのが通例です。創作の場合は「書」と書くのが一般的です。署名はサインですので、自分らしくかっこよく書く工夫を凝らしたいところです。
そして、印こそ細やかな配慮と美意識が求められる部分です。署名が美しく工夫され、印が鮮明に押されている作品は、それだけで作品全体の完成度を高めます。よく考えてみてください――小さな印にまで心を配り、署名に工夫を凝らしている人が、本文に無頓着なはずがありません。落款まで含めて、ひとつの作品なのです
大曲高校書道部では入学のお祝いメッセージを、入学式当日に書道室の窓や保護者控室、来賓控室に掲示しました。これは、道路を行き交う皆さまや来校された保護者・ご来賓の方々に向けた、心からの歓迎のことばです。やはり、人の手で書かれた文字には力があります。印刷物や無機質な掲示ではなく、「人の思い」が宿る筆文字を届けたいという思いで取り組んでいます。さらに、入学式の式場に隣接する体育館には、新入生を迎える巨大な作品も掲げました。
また、これらの取り組みは書道部にとって“大きな文字を書く”という貴重な稽古の場でもあります。日々の練習では味わえないなかなか取り組むことのできない大きい紙での表現、空間の広がり、そして人目に触れる緊張感――すべてが実戦そのものです。
「習うより慣れろ」とはよく言ったもので、実際に筆を持ちからだ全体で書く経験のなかにこそ学びがあります。卒業式でも同じような取組をしましたが、それを自己評価しながらうまく書けるかよりも、その反省を活かしてまずは書いてみること。失敗も成功も、すべてが力となって蓄積されていきます。
そうして私たちは、筆に宿る力を少しずつ、自分のものにしていきます。
#竹村天祐#大曲高校#大曲高校書道部#青麻会#大東文化大学
書道部では希望と緊張を胸に登校した新入生たちに向けて、歓迎と激励の思いを込めた作品を制作し、会場に隣接する体育館に掲示しました。作品に記したのは――「君は何をしに、ここへ来た?」
この問いは、誰かに与えられた答えを求めるものではありません。自らの意思で大曲高校を選び、努力を重ねて難関を突破し、自分の進むべき道を切り拓こうとしている、その一人ひとりに投げかける心の鏡のような言葉です。「なんとなく」ではなく、「どうしてもここで挑戦したい」と願った者だけが越えてきた扉。その情熱をここで存分に発揮してほしい。夢のために、理想の自分のために、ここで何を掴みたいのか。その決意を胸に、一日一日を、濃く、熱く、過ごしてほしい。
書道部の筆から放たれた一行には、祝福とともに挑戦者へのリスペクトが込められています。大曲高校で自分自身を超える三年間がいま始まろうとしています。
#竹村天祐#大曲高校#大曲高校書道部#青麻会#大東文化大学
このたび、秋田魁新報社が大曲高校書道部に一年間密着し、私たちの活動を連載記事として紹介してくださることになりました。
そして本日、記念すべき第1回の記事が紙面に掲載されました。今回取り上げていただいたのは、先日行われた「部活動紹介」の様子と、書道パフォーマンス『初めて物語』の舞台裏です。題字は3年生が担当し、それぞれの想いと決意を込めて揮毫しました。
思い返せば、私たちが初めて書道パフォーマンスを行ったのも、12年前のこの「部活動紹介」の場でした。たった一筆から始まった表現が、代を重ね、仲間たちの手によって磨かれ、いまや大曲高校書道部を象徴する活動のひとつとなっています。
この一年間には、地域や学校行事での書道パフォーマンス、各種展覧会への出品、さらには書道を通じた地域貢献活動など、様々な取り組みが予定されています。その間に新入生が加わり、夏には3年生が引退。バトンを受け取った新チームが次の世代を担い、来年へと向かう大きな流れが生まれていきます。
この連載では、作品づくりに懸ける情熱、日々の稽古の積み重ね、仲間との絆や試行錯誤の軌跡など、私たちの“素顔”が丁寧に記録されていきます。書とともに歩む私たちの一年が、少しでも多くの方に届き、共に感じていただけるものとなれば、これ以上の喜びはありません。
節目ごとに重なる喜びと別れ、その中で育まれる言葉と筆の力を、これからも真摯に表現し続けてまいります。どうぞ温かく見守っていただけましたら幸いです。
#竹村天祐#大曲高校#大曲高校書道部#青麻会#大東文化大学
人が書いた文字には、ただの言葉を超えたエネルギーが宿る。
私が全身全霊で揮毫した「入学式」の立て看板。その前には、新入生と保護者が長蛇の列をつくり、まるで神聖な儀式に臨むように、一人また一人とカメラの前に立っていく。
看板に記したのは、縦に力強く配置した「入学式」の三文字。ただの三文字ではない。主役としての風格を放ち、周囲の空間には今年の校名と年度を潔く刻む。“使い回し”なんて妥協はしない。その年、その瞬間の輝きに応えるためにすべては毎年勝負。この構成にたどり着くまで、何年も試行錯誤を繰り返し何度も筆をとってはにらみ、悩み抜いた。だがその果てに生まれた一枚。
秋田県内で毛筆での立て看板を用意できる学校は、ほんの一握り。だが、ここまで“魂”を込めて書く者がいるのは、間違いなくただ一校大曲高校うちだけだ。
#竹村天祐#大曲高校#大曲高校書道部#青麻会#大東文化大学
大曲高校書道部は、このたび開催されました第64回全県書きぞめ展におきまして、ありがたくも14年連続となる団体賞を頂戴いたしました。干支が一周してしまうほどに長きにわたって受け継がれてきたこの記録を、今年も無事に繋ぐことができたことに深い感謝と喜びを噛みしめております。
とはいえ、いただいた賞にふさわしい作品であったかと問われれば、まだまだ胸を張れる出来ではありません。筆に遊ばれ運筆はぎこちなく、まるで油の切れた部品がギコギコと音を立てるような線ばかりで、どの作品にも迷いがにじみ未熟な一画一画が目につきます。そうした作品の数々を前に、指導者としての力不足を痛感し反省するばかりです。
それでも、生徒たちは一人ひとり書に真摯に向き合い、言葉では言い表せない思いを筆に託してきました。冬の寒さに指先がかじかむ日も紙の白に己の未熟さを思い知らされる日も、逃げずに立ち向かってきた彼らの姿は私にとって何より誇らしいものです。そうした日々の積み重ねが、こうして形となったことに、ただただ感謝の思いでいっぱいです。
ここで天狗になってしまえば、次に筆をとる手元がすべってしまうかもしれません。だからこそ今、あらためて気を引き締め、一筆一筆に心を込めまっすぐに書の道を歩んでいく覚悟です。書は奥深く、終わりのない道。だからこそ、迷いながらも進む価値がある。これからも部員全員で、“気合いを込めた一画”を丁寧に重ねてまいります。
最後になりますが、日ごろから応援くださる地域の皆さま、そして最強応援団の保護者会の方々に、心より御礼申し上げます。今後とも変わらぬご支援・ご指導のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
#竹村天祐#大曲高校#大曲高校書道部#青麻会#大東文化大学
早春の候、青麻会会員の皆さまにおかれましては益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
さて、このたび令和7年3月をもちまして、平成24年より13年にわたり務めてまいりました青麻会事務局、ならびに平成29年からの校内幹事長の職を退任いたしました。
在任中は、多くの諸先輩方、会員の皆さまのご指導とご支援に支えられ、微力ながらも同窓会活動の一助となるべく努力してまいりました。とりわけ、新校舎への移行や旧校舎との惜別、多くの節目を皆さまと共有できましたことは、私にとってこの上ない喜びであり、忘れがたい財産です。なお、退任後も引き続き大曲高校に勤務しておりますので、今後ともご指導ご鞭撻を賜れましたら幸いに存じます。
長きにわたり、温かく見守っていただきましたこと、心より感謝申し上げます。今後は一会員として、変わらぬ思いで青麻会の発展を願い、陰ながら応援してまいります。
末筆ながら、青麻会のますますのご隆盛と、皆さまのご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。
#竹村美範#竹村天祐#大曲高校同窓会青麻会
MLB開幕戦のために来日したドジャースのチームメイトをもてなす大谷選手。その姿に感銘を受けた私も、感謝の気持ちを込めて「ありがとう」の贈り物を用意した。先日書いた色紙をさらにバージョンアップし、墨色をモチーフにした黒いウエットティッシュを、大入り袋に忍ばせた。すると、私のDNAがささやいた——「もうひと工夫せよ」と。
私の祖父はただ農産物を作るだけでなく、それにもう一手間かけて納豆の生産と販売を始めた人だった。いまや、秋田県をはじめ各地の食卓に欠かせない味となっている。その血と粘りを引く私は、大入り袋の白い部分がもったいなく感じ、そこに「夢」と一文字したためた。夢がぎゅっと詰まった夢袋。仕上げに買ってきた「ありがとう」のシールを貼って完成……のはずだった。
だが、貼ったそのシールには、こう書いてあった。
「おめでとう」。
#竹村天祐#大曲高校#大曲高校書道部#青麻会#大東文化大学
書道部なのに、いや、書道部だからこそと言うべきか——情けない話だが、卒業証書の揮毫シーズンが始まったあたりから、右肘がやけに痛い。以前、野球部の部長をしていた頃にも同じようなことがあった。ノックを打ちまくっていたら肘が悲鳴を上げて、整骨院に駆け込んだ。先生はにこにこしながら一言、「野球部だけど、テニス肘ですね」。
あれから何年も経って、今回は書道部。ノックのかわりに筆を振り続け、書いた卒業証書はたったの四、五百枚。それなのに、病院で言われたのはやっぱり「テニス肘ですね」。
ラケットもバットも持たず、筆一本でテニス肘。同じ姿勢で延々と書き続けただけでこうなるとは……もしかして、これが“加齢”というやつか。まさか、テニス肘が人生二度目になるとは思わなかった。
#竹村天祐#大曲高校#大曲高校書道部#青麻会#大東文化大学
元来、竹村家は「新し物好き」。とりあえず流行には乗ってみるが、いざ皆がやりだすと「同じじゃつまらん」と急ブレーキをかける、ちょっと面倒くさい性分である。
そんなわけで、先日も歓迎会の横看板を担当した。送別会のときは、礼を尽くしてピシッと揃った楷書で書いた。しかし、ふと我に返る——部員たちには「現状維持は衰退だ」と言い放っているのに、同じように書いてどうするのかと。
そこで今回は、文字に大小、線に細太、書体は行書と草書を織り交ぜ、もはや多少読めなくても「勢いがあればよし!」の気分で筆を振るった。書き上がってみれば、読者目線はさておき、こちらはすっかり自己満足の渦中。
……読まれるより、この想いが伝わることが大切。
#竹村天祐#大曲高校#大曲高校書道部#青麻会#大東文化大学