古民家の廊下に立つと、床板の艶や柱の傷に長い歳月が刻まれていることに気づきます。奥から差し込む光に導かれるようにシャッターを切りました。建物そのものではなく、この場所に流れ続けた時間を写したいと思いました。

竹村天祐の書の世界をご案内します。
古民家の廊下に立つと、床板の艶や柱の傷に長い歳月が刻まれていることに気づきます。奥から差し込む光に導かれるようにシャッターを切りました。建物そのものではなく、この場所に流れ続けた時間を写したいと思いました。

厳しい二日間でした。高校総合文化祭の賞状筆耕を担当しました。最近、つまらないミスが多いので、なおさら緊迫した二日間となりました。
賞状への記名は簡単にできると思われがちですが、大臣賞などの賞状は、おそらく悪用防止のためでしょう、予備がありません。しかも今回は、初めて目にするような学校名や、「県立」でありながら正式名称には「県立」が入らない学校など、なかなかの強敵も出現。さらに、文字の大きさにも細かな指示があり、それらを確認しながら一枚一枚筆を進めました。
「間違えたら書き直せばいい」が通用しない筆耕。筆を持つ手以上に、神経を使った二日間でした。そして――なんとか一枚も間違えることなく、無事に書き終えました。いやあ、疲れた。でも、終わった。この安堵感は格別です。
思わず手に取り、その手拭いをそのまま購入してしまいました。
書かれているのは、池田家第11代当主・池田文八郎の言葉。旧池田氏庭園にちなみ、以前、私が揮毫したものです。左下には、ちゃんと「揮毫 竹村天祐」の文字もありました。池田家は「東北の三代地主」と言われ、地域の発展に多大な貢献をしてきました。
自分が書いたものが、こうして今も庭園の一品として置かれ、訪れた方々の手に渡っている。書いた時には想像もしなかったことです。旧池田氏庭園で、思いがけず昔の自分の「書」と再会しました。もちろん、記念に一枚。自分の書いた手拭いを、自分で買って帰りました。1枚500円です。記念にいかがでしょう。
私が教員として最初に赴任した学校の校舎を受け継ぐ学び舎に、今年、兼務で再び勤めることとなりました。教員として歩み始めてから、四十年近い歳月を経ての再訪です。校舎はリフォームされ、当時とは少し姿を変えていますが、そこに身を置くと、若かった頃の記憶が自然とよみがえります。教員人生の原点となった場所へ、長い年月を経て再び戻ってきたことに、言葉では言い表しがたい不思議なご縁を感じています。このたび、そのご縁への感謝を込めて、学校へ作品を寄贈させていただきました。
題材としたのは、杜甫の『貧交行』です。立場や境遇が変わっても変わらない友情の尊さを詠んだこの詩に共感し、この学び舎で育まれた友情が、卒業後も末永く続いてほしいという願いを込めています。
ご縁に恵まれているなあと感じます。
近所の自動車整備会社で工場長をしているのは同級生。車のトラブルのときにはいつもお世話になっています。先日は、自動車ではないのに草刈機の調子が悪くなり、トラックで引き取りに来てくれて、面倒を見てもらいました。困ったときに「ちょっと見てくれる?」と気軽に頼める人が近くにいてくれることは、本当にありがたいことです。
せっかく長く書道を続けてきたのだから、自分にできることでお礼を伝えたい。そんな思いから、ささやかですが作品を寄贈させていただきました。若い頃は、展覧会に出品するために書いていました。気合いを入れて筆を持っても、無心に書くだけでした。けれど、この歳になって、自分の書いたものが誰かへの感謝を伝えるものになったり、どこかの片隅で誰かの目に留まったりするのであれば、それもまた書を続けてきた意味の一つなのかもしれません。
人に恵まれて生きていることに感謝です。
【写と書の美のり展作品紹介 書道⑩】おばこの花(ドンパン節) 半切1/2
いつ来ても井戸端きれいに咲くのはあやめ 秋田のおばこによく似てる かわいい花だよ 皆おいで
秋田の民謡「ドンパン節」の一節を題材としました。整いすぎた美しさではなく、素朴で飾らない筆致によって、秋田のおばこの親しみやすさと温かさを表現しました。