2026年3月2日月曜日

伝統の歌声 完全復活

 伝統の歌声が、完全復活。

 コロナ禍で出席者を制限していた卒業式。今年は在校生が全員出席し、全校生徒がそろって歌声を響かせることができました。いつから歌われているのか、正確な年数は分かりません。けれど少なくとも五十年以上。時代の移ろいの中で一部の曲は変わりましたが、同じ曲を、同じ曲順で、同じアレンジで歌い継いできました。卒業生の保護者の方なら、きっと一緒に歌えるはずです。

 しかも来年新体育館が完成のため、この体育館で行う最後の卒業式。半世紀以上にわたり歌声を受け止めてきたこの空間に、全校生徒の声がそろって響いたこと。その「完全復活」が、この場所で叶ったことに深い意味を感じます。

 声は建物を越えて受け継がれる。この体育館は確かに満ち足りた響きに包まれていました。

卒業式での歌声はこちらに。

卒業の歌

卒業式での校歌(混声四部合唱)




2026年3月1日日曜日

卒業式の立て看板

  卒業式の立て看板を書きました。いつものパワフルはひとまず封印。昂ぶりを抑え、平常心で。秋田県内で自前の毛筆による卒業式看板を用意できる学校は、そう多くはないと思います。だからこそ、手を抜くわけにはいかない。

 派手さはなくとも、節目にふさわしい強さを込めました。



2026年2月28日土曜日

  青麻会にピッカピカの新入会員177名。会長、各支部長の皆さまを来賓にお迎えし、新たな世代が加わりました。母校を背に、それぞれの道へ。けれど、心のどこかで同じ旗の下にいる。それが同窓というものです。



2026年2月27日金曜日

席札

  卒業式の席札の揮毫を依頼された。もちろん安請け合いは得意なので、二つ返事で引き受けた。来賓が席を確認するため前垂れをのぞき込む光景を何度も見てきたため、本校では机上用の小さな席札も用意している。さらに下足棚用まで必要となり、同じものを二部作ることになる。

 そこで、心の奥に潜む“怠け心”がささやいた。「コピーして切れば済むだろう」と。原稿を書き、コピーし、切った。見事にずれた。結局、楽をしようとした代償として、余計な手間を背負うことになった。仕方なく同じものを二枚書く覚悟を決め紙を用意したが最後に、ずれないように1枚ごと切るという“当たり前の発見”にたどり着いた。

 横着は創意工夫を生まない。ただ仕事を増やすだけである。



2026年2月26日木曜日

  大曲高校は教員として戻ってくる卒業生が多い学校である。本校にも同窓生は10名以上おり、私の唯一の先輩は同じ吹奏楽部で、同じトランペットパートだった。だからこそ、いまでも挨拶は欠かさない。

 昨日、文芸部の顧問をしている後輩が、もじもじしながら声をかけてきた。文芸部誌の表紙タイトルを書いてほしいのだという。そんなことは朝飯前。安請け合いは得意だ。

 活字を目にした瞬間、文字のかたちがすっと立ち上がった。



2026年2月25日水曜日

つい、書いてしまった

 「つい、書いてしまいました。」

卒業祝賀会の横看板です。

 万事テキトーな私ですが、横看板だけは妙に几帳面になります。割り付けを計算し、設計図まで起こすあたり我ながら往生際が悪い。横書きは適当に書くと見事に破綻するのです。

 当初は「令和7年度」と算用数字で進めるつもりでした。ところが、「七の波たくは一画目だな」などと余計なことを考えた瞬間、つい漢数字で書いてしまいました。さて、ここで気がつきました。二行目の「78」をどうするか――。

 「七」が漢数字だから漢数字でいくのか。「78」だけを算用数字で一マスに押し込むのか。一行目に合わせて漢数字にするのか。二行目だけ算用数字にして知らん顔をするのか。たかが数字、されど数字。書き手の小さな矜持が、どうでもいいところで顔を出します。

 結局、統一。無難という名の敗北か、整合という名の救済か――そのあたりは、見る人にお任せします。



2026年2月24日火曜日

 この羅漢の表情は、どこか人間くさく、そして深い。隣に寄り、声を潜めて交わす言葉は、きっと大声では語れない真実なのだろう。