山はただそこにあるだけで、圧倒的である。だが、その手前には誰かの暮らしがある。柱を立て屋根をかけ、風を受けながら日々をつなぐ場所。
遠くの白さに目を奪われながら、人はその手前で生きている。
この距離こそが、風景の意味である。
(撮影地:大仙市・払田の柵)
山はただそこにあるだけで、圧倒的である。だが、その手前には誰かの暮らしがある。柱を立て屋根をかけ、風を受けながら日々をつなぐ場所。
遠くの白さに目を奪われながら、人はその手前で生きている。
この距離こそが、風景の意味である。
(撮影地:大仙市・払田の柵)
半切1/2の額をできるだけ生かすため、紙をぎりぎりまで長く使いました。白楽天の詩を書き、第65回新年書き初め展同人展に出品しました。
「えっ?秀作美術展に出した作品じゃないか?」そう思った方、するどい。巡回展です。作品も、もう少し働いてもらいます。せっかく書いたのですから、一度きりではなく、できるだけ多くの方に見ていただきたいものです。実は気に入っているのです。
県内の文芸作家とのコラボで提供していただいた短歌を書いた。
「先頭の犬の巻尾を標(しるべ)とし歩む家族に初春の雪」
「標」は“しるべ”と読むが、少し読みにくい字である。しかし、ふりがなを振れない作品形式なので読む人の歩みを止めないように、ここはひらがなで「しるべ」と書いた。
書は、読む人の呼吸まで考える表現なのだと思う。第65回新年新年書きぞめ展同人展出品作品。
おい、聞いたか。
岩手県盛岡市の岩手銀行赤レンガ館。
赤レンガの建物は、外から見ると堂々としている。けれど中に入ると、時間はゆっくりと流れている磨かれた木の階段。何人もの人が上り、下り、そして去っていった場所。
窓の向こうには、緑青のドーム。外の街は変わっても、この建物の中には静かに積み重なった時間が残っている。
岩手県盛岡市の報恩寺の五百羅漢。光と陰を意識し、像の立体感が浮かび上がるように心がけて撮影しました。堂内は思いのほか暗く、だからこそ、差し込むわずかな光の大切さをあらためて感じます。羅漢の表情はひとつとして同じものがなく、静かな光の中で、それぞれが語りかけてくるようでした。
卒業証書ホルダーの校名を揮毫しました。
本校のホルダーには“まち”があり、証書に折り目をつけることなく、そのまま収めることができます。たったそれだけの違いですが、三年間の歩みを折らずに手渡すという意味では、とても象徴的な工夫だと感じています。包むものは紙一枚でも、その内側には時間と記憶がある。校名の一画一画に、静かな門出への願いを込めて筆を入れました。
同窓会青麻会の祝詞を揮毫しました。門出に立つ卒業生へ先輩方からのまなざしと祈りを、一字一字に込めて。節目の式典に、筆で関われることは何よりの光栄です。言葉は声を越え、時を越えて残るもの。その一端を担えたことに、静かな誇りを感じています。
伝統の歌声が、完全復活。
コロナ禍で出席者を制限していた卒業式。今年は在校生が全員出席し、全校生徒がそろって歌声を響かせることができました。いつから歌われているのか、正確な年数は分かりません。けれど少なくとも五十年以上。時代の移ろいの中で一部の曲は変わりましたが、同じ曲を、同じ曲順で、同じアレンジで歌い継いできました。卒業生の保護者の方なら、きっと一緒に歌えるはずです。
しかも来年新体育館が完成のため、この体育館で行う最後の卒業式。半世紀以上にわたり歌声を受け止めてきたこの空間に、全校生徒の声がそろって響いたこと。その「完全復活」が、この場所で叶ったことに深い意味を感じます。
声は建物を越えて受け継がれる。この体育館は確かに満ち足りた響きに包まれていました。
卒業式での歌声はこちらに。
卒業式での校歌(混声四部合唱)
卒業式の立て看板を書きました。いつものパワフルはひとまず封印。昂ぶりを抑え、平常心で。秋田県内で自前の毛筆による卒業式看板を用意できる学校は、そう多くはないと思います。だからこそ、手を抜くわけにはいかない。
派手さはなくとも、節目にふさわしい強さを込めました。